このブログは
宇宙戦艦ヤマトの二次小説を展開する「三日月小箱」管理人の独り言です
古代 進 守 デスラー 島 大介 森 ユキ 真田 四郎 加藤 三郎
コスモ タイガー 沖田 十三 テレサ スターシャ サーシャ 澪 宇宙戦艦ヤマト2199

FC2ブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
毎月福井に帰省しているが、帰るたびに街並みが変わっていくのに驚かされる。
今月は福井国体が開催されたこともあって、天皇皇后両陛下や皇太子をお迎えするための整備なども行われていたらしい。
福井駅に近い大名町交差点でも、大きな変化があった。
福井銀行本店が立て替えのために取り壊された。
その並びの福井シネマ映画館も、9月10日に約100年間続いていた営業を終了した。

福井新聞より 福井シネマが100年の歴史に幕

私にとって映画館といえばここだった。
ヤマトの劇場用作品は全部ここで見た。

映画館のオーナーはとても気さくな方で、「さらば」の上映に合わせてセル画展示させてほしいと申し込んだら、二つ返事で許可してくれた。
セル画といっても、田舎で十分な材料は入手できないのでOHPシートで代用したお粗末な物だったが、私たちは心踊らせて描いた。
「合宿」と称して、一人暮らしのメンバーのアパートで徹夜して描いたりもした。
今だったら著作権云々でややこしいかもしれないが、当時はただヤマトファンがヤマトを見に来る人に向けた純粋な気持ちをオーナーが汲んでくれたのだと思う。
展示用のボードは映画館で用意してくれた。
ファンクラブへの入会案内状も置かせてくれた。
あの頃、映画ビルは新しく建ったばかりで、そのロビーを使わせてもらったことは、本当に嬉しかった。

「さらば」のつらすぎたストーリーと、何度見ても涙が止まらなかったこと。
ロビーに展示された自分や仲間たちのセル画。それを見てくれていた人たち。
子ども扱いしないで、私たちの企画に耳を貸してくださったオーナー。
あの時の思い出は尽きることがない。

私は結婚して福井を離れてしまってから一度も足を運んだことがない。
郊外に大きな駐車場のあるショッピングモールが出来、そこにシネコンが入ってからはお客が減ってしまったのだそうだ。
無くなってしまうのは凄くさみしい。
けれども仕方ないのだろう。

良い思い出をありがとうございましたと、心から思っている。
スポンサーサイト
 
すっかり放置ブログになってしまいました。
お恥ずかしい。。。

夏コミで配布したフリーペーパーに、10月21日ヤマケットで新刊を出したいと告知していたのですが、これまたお恥ずかしいことに発行を断念することになりました。

9月の職場イベントで企画運営責任者になっていたので、ひたすらその準備に追われ、イベント中は毎日歌って踊って歌わせて踊らせて頑張り、結果として膝を痛めてしまいました。
もともと変形性膝関節症なのですが、膝に水が溜まってしまったのです。
これがもう、痛いの痛くないのって。。。
先週の土曜日なんて、右膝から下の存在感がないんです。
膝がグラグラして、浮いてしまっているような感じで全く力が入りません。
自転車をこぐとか、車を運転してアクセルペダルを踏むなんて無理無理。
やっとの思いで職場の病院で治療してもらいましたが、今もノロノロ歩行中です。
(でも仕事はしてる)

そしてさらに、今月18日に姑が白内障の手術をすることになりました。
最近は日帰り手術が多くて、簡単な印象がありますが、何しろ姑は既往病との関係があるので日帰りにはなりません。
手術+入院についての説明があったり、同意書を書かされたり、もちろん手術当日は立ち合いもしなければならないのです。

もちろん合間を縫って、実家の実母の遠距離介護もあります。
今月は皮膚癌の経過観察診療があるので、総合病院でレントゲン検査を受けます。
ああ、寝室のクーラーを暖房も使えるエアコンに買い替えなくちゃ。
動かなくなっているクローゼットの折戸の修理も、もちろん私の仕事です。

そんなわけで、ヤマケット合わせの新刊を作るのは諦めました。
中途半端な物は出したくないですし。

でも、会場には行きます。
ヤマト友だちのサークルで売り子のお手伝いをする予定です。
それに、新刊も出さないわけではありません。
すでに原稿を預けてくださった方もあるので、必ず形にしたいと考えています。

休み休み作りますので、どうぞお待ちください。
 
今日まで職場は夏祭りでした。
私はヨーヨー釣り担当だったのですが、浴衣なので動きにくい上に、ヨーヨーを入れたプールが水漏れ。
モップ片手に頑張りました。
でも、祭りは今日で終わりだと思っていません。
このテンションは明日まで持ち続けるつもりだからです。

明日は夏コミです。
星花繚乱の瑞喜ちゃんにお誘いいただいたので、うかがうことにしました。

この夏の厳しい暑さに、創作活動は全く無し。
夏コミも、行くつもりはなかったのですが、お誘いただいたら嬉しい嬉しい。

東地区 ホ-28a 星花繚乱サークルにいます。
もちろん新刊はありません。委託販売していただくのは「森雪特集号」です。
でもフリペは持って行きますよ。

皆さんにお配りするお菓子なども全く用意できていません。
ああ、心苦しい。
けれども。
お立ち寄り、お声掛け、お待ちしています♡
 
まだ短い苗が風になびいている。
なびくたびに、苗の間の水面がきらめく。
私が一番好きな水田の風景だ。
萌える緑の中に一羽の白鷺でも居ようものなら、一幅の絵画のようだ。

そんな美しい故郷に今月も帰省してきた。
もちろん遠距離介護のためなのだが、今回はお楽しみもあった。
福井市立美術館でちょうど開催されている「松本零士展」に行って来た。

松本零士展


この展示は、松本作品の版画を販売している(株)アートスペースが版元としての原画を多数出品していて、全国で展開しているらしい。
福井の展示が終了した後は青森や熊本にも行くそうだから、そんなに珍しいものでもないのかもしれない。
けれども、とにかく展示数が多くて見応え抜群だった。

漫画の原稿はもちろん、肉筆のイラストも多数あって、食い入るように見てきた。
意外だったのは同行した母の反応。

「えええっ! これ手で描いてるの!?」
「本物みたいねぇ」

といった具合に、一枚一枚丁寧に鑑賞していく母。

そしてヤマトのコーナーに来た時、「ああ、これ好きだったでしょ?」と指さした。
「なんだか一生懸命に好きだったよねぇ。ファンクラブかなんかやってたでしょ?」
そうですよ。お母さん。
よく覚えていますねぇ。
「ほら、これ好きだった人でしょ? この睫毛、覚えてるわぁ」
ああ、それがスターシャです。
「この青い顔の人もいたいた。悪役だったのよね?」
その人はデスラーですよ。

ヤマトが好きでファン活動に邁進していた頃、母は半ば呆れ顔で私のすることを見ていた。
ビデオなんかまだ持っていなくて、テレビの前にラジカセを置いて録音していたっけ。
覚えるほど繰り返し聞いて、次の週を上書き録音していた。
カセットも結構高かったなぁ。

他に見に来ている人も、私と同年代が多かった。
もしかしたら、あのファンクラブのメンバーだった人も来ているかもしれない。なんて気持ちになった。
メンバーはどうしているんだろう。
2199や2202は見ているのかしら。

翌日は松本氏が来福して講演とサイン会をやるという。
そういえば昔、松本氏にもインタビューしたことがあった。
福井のファンのためにイラスト入りサインを何枚も描いてくださったっけ。
当選したメンバーは、今でもあのサインを持っているのかなぁ。

懐かしいことをたくさん思い出した。
短い時間だったけど、すごく楽しかった。

最後に顔出し写真を記念に撮って会場を後にした。
顔出しヤマト
漫画のコマが顔出しボードになっていて、1コマ分が顔出し用に空いている。
バカメのシーンなのが嬉しかった。

ぬり絵もありました。
塗り絵その2
 塗り絵その1
 
今回の第5章は、5月25日の金曜日から公開ということで、初日鑑賞は諦めていました。
仕事が終わってからの鑑賞では家事ができませんからね。
でも、土日も家族サービスと買い出しが待っていますから、5章を観に行く予定が全く立っていませんでした。

だけど、土曜日の朝目覚めたら、もうヤマトが見たくって。
なにしろ私の身体の中のどれだけかは、間違いなくヤマトで構成されているのですから、あの艦が宇宙にあるというだけで、気になって仕方ないんです。
新しいストーリーには不安があったり不満が出るかもしれないけれど、見ないで生きていくなんてことは出来ないのです。
ただヤマトの無事を願うだけの私です。

早起きしたので家事をすませ、家族の朝食を用意して、本日第一回めの上映に行って来ました。
物品には目もくれず、上映が終わったら真っ直ぐ帰宅しました。

みなさんは、もう劇場に足を運びましたか?
私と同じように、ヤマトが好きで好きでしようのない人はたくさんいらっしゃるでしょう。
5章もまた、見届けるのが使命だと思いますよ。
誰のファンだとか関係ありません。
あの艦が宇宙に在るのですから。
 
水田の脇に点々と橋脚が立っている。
それは確実に数を増やし、所によっては繋がって来ている。
北陸新幹線が福井に到達するのは2022年の予定で、それを目指して工事が進んでいるのがわかる。

毎月こうして福井に介護帰省するようになって一年が過ぎた。
遠距離介護は突発的に始まって最初は右往左往したけれど、家族の理解の元、ご近所の方の協力や母のお友だちの支援を受け、wifiの構築と見守りカメラの設置を経て、どうやら軌道に乗って来た。

思わぬハプニングに「もっと近くに住んでいたなら」と唇を噛むような思いを何度もしたけれど、
離れて介護する私に、母の友人たちが快く協力を申し出てくれた。
「何でも言ってね。すぐに駆けつけるから」
「こまめに訪問して、声を掛けるね」
その温かいお言葉に甘えて、頼って、本当に助けてもらっている。
母の円滑な人間関係がなければ、遠距離介護は成り立たないと心底思う。

母は中学までしか行っていないことに劣等感を持っている。
自分のことをよく卑下する。
けれども母を包み込んでくれている人々を見ていると、学歴なんか関係ないのだということがわかる。
母は地元で、周囲の人に愛されている。
それはやはり、母の人柄が良いからなのだろう。

今回の帰省は、母の日にどんぴしゃりと当てはまる。
母の日を母と一緒に過ごすのは、おそらく結婚以来初めてだ。
毎年母の日には、母の好きな花苗を寄せ集めて贈っていて、それらは実家の庭で大きくなり、雪にも負けず綺麗な花を咲かせている。

母のことが色々わかった1年だった。
さまざまなことに気付かされた。
中学校しか出ていなくても、私は母を素敵だと思っている。
母の日には、一緒に美味しい食事をしに行こう。
プレゼントは、防犯録音機能付き留守番電話に決めている(笑)。
おかあさん、ありがとう。
 
留学から末っ子が帰ってきました。
と言っても、今のご時世はLINEも繋がってるし、スカイプで動画を見ながら会話できちゃうので、
「ああ、遠くに行っちゃったんだなぁ」とか「寂しいなぁ」などという感情は、ほとんどありませんでした。

あちらの大学で料理クラブなんか立ち上げて、中華料理を中心に自炊していた末っ子ですが、一番最初に食べたいと言ったのは煮魚でした。
肉は入手しやすかったようですが、魚は鮮度を考えると「あまり食べたくない」レベルの物が多かったようで、留学中はほとんど魚料理を食べなかったらしいです。

子持ちカレイの煮付け
ネギ入り厚焼き玉子焼き
豚角煮
タケノコのきんぴら                             
豆腐とわかめの味噌汁

こんな献立を帰国後最初の食事として食べてから、末っ子がおもむろに取りだしたのはスケッチブックです。
100枚綴りのスケッチブックに、向こうで知り合った人たちの寄せ書きがたくさん書いてあります。
この出会いも、留学した値打ちのひとつでしょう。

「彼はカナダ人。こっちの女の子は中国人」
嬉しそうに教えてくれる末っ子の指が止まりました。
「彼女はバングラディシュ人。今月うちに泊りに来るよ」
「へ!? それは、彼女とか恋人とか、そういう人!?」
「違うよ。東京観光するのに、うちを宿泊所に使うってことだよ。泊めてあげてね。部屋も空いているからいいでしょ?」

確かに長女と真ん中っ子はそれぞれ一人暮らしをしているので、二段ベッドで使っていた部屋は空いてます。けど。

「彼女はムスリムだから、豚肉料理はダメなんだよ。でも、豚肉を料理した調理器具もダメとか言うほどきつくないから大丈夫」

大丈夫って。。。
私は英語が全然話せないのに。

「来月はこのインドネシア人の男の子が泊りに来るよ」
「えええっ!?」
「彼はベジタリアンだから、野菜料理をお願いね。魚も卵も乳製品もダメだよ」

「それでね、7月には……」

待て。待て。待ってよ!

何やらアジア系のお友だちが次々に日本観光にやってくるらしいのです。
すっかり我が家を基点として泊まる気満々で。

どうやら我が家は民泊のように使われるようです。
果たしてどうなることやら。
 

| Home |


 BLOG TOP  »NEXT PAGE

powered by

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。